金融庁認定を否定したインサイダー取引訴訟について弁護士が解説

2021.03.09

はじめに

インサイダー取引に関する訴訟で、東京地方裁判所が下した判決に注目が集まっています。
この訴訟では、インサイダー情報となる「業務提携を行うことについての決定」がいつされたかが争われ、同判決では、金融庁による認定が全面的に否定されました。日経新聞より


決定時期をどう判断するかはインサイダー規制の根本に関わる問題で、企業の情報管理などにも影響する可能性があります。                                           
実際、上場会社の代表者は、有価証券報告書の記載内容や内部者情報の扱いについて金融庁に説明を求められる場合もありますから、認識について正確にアップデートしておく必要もあるかと思います。
今回は、この事案について、詳しく見ていきたいと思います。

1 事案の概要


東証マザーズに上場する株式会社モルフォ(画像処理やAI技術の研究・製品開発などを手掛ける企業)の取締役は、株式会社デンソー(自動車部品メーカー)と自社が業務提携をするという非公開情報を得た上で自社の株式を購入しました。

金融庁は、同行為が金融商品取引法にいう「インサイダー取引」にあたるとして、2018年12月、モルフォ社の元取締役に対し133万円の課徴金納付命令を発令しました。
なお、同取締役が自社株400株を買い付けたのは2015年8月のことで、モルフォ社とデンソー社の業務提携の事実が公表されたのが同年12月とされています。

課徴金納付命令を受けた元取締役が同処分の取り消しを求めて出訴した事案が今回の事案です。

2 インサイダー取引とは


インサイダー取引」については、金融商品取引法が以下のように定めています。

    金融商品取引法166条1項

    次の各号に掲げる者(以下この条において「会社関係者」という。)であつて、上場会社等に係る業務等に関する重要事実(当該上場会社等の子会社に係る会社関係者(当該上場会社等に係る会社関係者に該当する者を除く。)については、当該子会社の業務等に関する重要事実であつて、次項第五号から第八号までに規定するものに限る。以下同じ。)を当該各号に定めるところにより知つたものは、当該業務等に関する重要事実の公表がされた後でなければ、当該上場会社等の特定有価証券等に係る売買その他の有償の譲渡若しくは譲受け、合併若しくは分割による承継(合併又は分割により承継させ、又は承継することをいう。)又はデリバティブ取引(以下この条、第百六十七条の二第一項、第百七十五条の二第一項及び第百九十七条の二第十四号において「売買等」という。)をしてはならない。当該上場会社等に係る業務等に関する重要事実を次の各号に定めるところにより知つた会社関係者であつて、当該各号に掲げる会社関係者でなくなつた後一年以内のものについても、同様とする(以下略)。

読みづらい規定ですが、つまりは、以下の要件をすべて満たす取引は「インサイダー取引」にあたり、金商法で禁止されているということです。

  1. 会社関係者(元会社関係者を含む)であること
  2. 上場会社等の業務などに関する重要事実を知っていたこと
  3. 当該重要事実が公表されていないこと
  4. 当該上場会社等の株式などの売買等を行ったこと


「インサイダー取引」は、企業にいる者にしか知り得ないような情報を利用して、情報の公表後に株価が上昇することを見越して自身の利益を上げるために行われる取引なのです。
インサイダー取引を許してしまうと、一般投資家は不利な立場で取引を行わなければならず、株式市場の信頼性にも悪影響を及ぼします。

このような理由で、金商法はインサイダー取引を禁止しており、これに違反した者は罰則を科される可能性があるだけでなく、インサイダー取引で得た経済的利益に相当する額の課徴金を納付するよう命じられる可能性もあります。

本事案では、金融庁が元取締役に対して133万円の課徴金を納付するよう命じました。

3 本事案の争点


前提として、金融庁が元取締役に課徴金納付命令を発令したのは、元取締役による本件行為がインサイダー取引にあたると判断したためです。
本事案では、元取締役による本件行為がインサイダー取引にあたるかどうかが争点となりましたが、インサイダー取引にあたるといえるためには、先に見た4つの要件をすべて満たしていることが必要でした。

本事案では、4つの要件のうち、「上場会社等の業務などに関する重要事実を知っていたこと(上記要件2)」を満たしているかどうかが専らの争点となりました。4つの要件のうち、1つでも満たさない要件がある場合には、インサイダー取引の該当性は否定されることになります。

争点をもう少し具体的に言い換えると、「モルフォ社とデンソー社の業務提携(重要事実)がいつ決定したのか」ということになります。

以下は、モルフォ社とデンソー社の業務提携に関する両社の動きを時系列で表したものです。

    2015年6月        モルフォ社の社長も同席のうえ、両社で打ち合わせ

    2015年7月        両社間でNDA(秘密保持契約)を締結

    2015年8月        両社の担当者で打ち合わせ

    2015年8月24日,26日    元取締役が自社株を買い付け

    2015年9月        両社の担当者で会食

    2015年12月        モルフォ社がデンソー社との業務提携を公表

このような動きのなかで、「両社の業務提携が決定した時点がどの時点なのか」という点が本事案の争点です。
インサイダー取引にあたるといえるためには、元取締役が自社株を買い付けた2015年8月24日以前の段階で業務提携が決定していて、その事実を元取締役が知っていたといえなければなりません。

2015年8月に両社の担当者で会食の場がもたれていますが、この際には、モルフォ社の担当者は元取締役と社長に対して、NDAを締結したことなどを報告しています。
本事案の被告である国は、遅くともこの段階で業務提携についての決定がなされていたと主張しました。

4 本事案の判決


東京地方裁判所は、業務提携の決定について「一般の投資家における投資判断に影響を及ぼす程度に具体的な内容でなければならない」として、元取締役が自社株を買い付けた時点では業務提携が決定されていたとは認められないと判断し、課徴金納付命令を取り消しました。
また、本事案について業務提携がいつあったかを述べることはしませんでしたが、モルフォ社の担当者がNDA締結の事実を元取締役と社長に報告したとされる2015年9月以降はそれまでとは質が異なると述べました。

同判決により、金融庁が下した認定は全面的に否定されたことになります。

この点、重要事項の決定時期については、これまでに日本織物加工株事件(株式発行についての決定時期が争点となった事例)および村上ファンド事件(公開買い付けの実現可能性が争点となった事例)という2つの判例が以下のように判示しています。

    【日本織物加工株事件】

    株式発行についての決定時期が争点となった同事案において、最高裁は、株式発行が確実に実行されることの予測が成り立つことは要しないという立場に立ち、「会社の業務として、株式発行に向けた作業を行う旨を決定したことをいう」と判示しました。
    【村上ファンド事件】

    公開買い付けの実現可能性が争点となった同事案において、最高裁は、公開買い付けの実現可能性があることを要しないという立場に立ち、「決定をしたというためには、それに向けた作業を会社の業務として行う決定がされれば足りる」と判示しました。

以上の判例からすれば、本事案においても元取締役が自社株を買い付けた以前の段階で業務提携が決定していたと判断される可能性はゼロでなかったと考えられます。
もっとも、この判決に対しては、国が不服として控訴をしており、2021年3月8日時点ではまだ確定していません。
控訴審がどのような判断を下すか、気になるところです。

5 まとめ

今回の判決は、企業における情報管理のあり方や自社株の購入時期などについて、深く考えさせられる内容となっています。
金融庁による認定が全面的に否定された形にはなりましたが、同認定が全面的におかしいとも言いがたい部分があります。
役員又は主要株主が特定有価証券を売買したときは、証券会社を通じて内閣総理大臣(金融庁長官)宛に売買報告書を提出する義務があり(金融商品取引法第163条)、そもそも役員の自社株買いには慎重な配慮が求められるところです。
とはいえ会社の経営は常に動いていますから、たまたま当該役員が知りえない重要事実が存在する場合もあり、その場合に常に課徴金制裁の対象となるというのも厳しすぎるように思います。


最終的な判断は、控訴審あるいは上訴審による判断を待つことになりますが、「投資判断に影響を及ぼす程度に具体的な内容」であることが業務提携の決定には必要であるという一審の判断が維持されるのか、もしくは、同判断が覆ることになるのか、今後の動向に要注目です。


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弁護士(東京弁護士会)・中小企業診断士 GWU Law LL.M.〔IP〕/一橋大学ソーシャル・データサイエンス研究科(博士前期・2026年~) 金融規制、事業立上げ、KPI×リスク可視化を専門とする実務家×研究者のハイブリッド。

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